2011年1月7日金曜日

東大ロケット年表

ペンシルロケットから始まる「東大ロケット(※)」が、日本初の人工衛星「おおすみ」を打上げるまでの年表。トピックは主観で選んでます。

※ここで便宜的にそう呼ぶだけで、東大だけのロケットというと語弊があります。

日付 事柄 備考
1955年3月11日 ペンシルロケット初の水平発射実験@八王子  
1955年8月06日 ペンシル300斜め発射実験@秋田道川海岸 道川海岸での初実験
1956年9月24日 カッパロケット(K-1型)初打上げ@道川  
1958年9月12日 K-6型3号機で高度50km到達。
高層大気の観測データを引っさげIGY(国際地球観測年)に参加。
 
1960年7月11日 K-8型(※1)初打上げ。高度180km 100km突破
1960年10月24日 糸川英夫、内之浦を視察  
1961年4月01日 K-9L型1号機で高度350km(※2) 200km(※3)、300km突破
1962年2月02日 内之浦宇宙空間観測所、着工  
1962年5月24日 道川にてK-8型10号機が爆発。住民感情への配慮と安全規定の見直しから道川で実験は全面中止(※4)  
1963年8月24日 ラムダロケット初打上げ@内之浦(ラムダ2型1号機L-2-1)(※5)  
1963年12月09日 内之浦宇宙空間観測所、開所式  
1963年12月11日 L-2型2号機打上げ。高度402km 400km突破
1964年7月11日 L-3型1号機打上げ。高度857km 500km突破
1965年1月31日 L-3型2号機打上げ。高度1040km 1000km突破
1966年9月26日 第4段を人工衛星とするL-4S型初打上げ(失敗)  
1967年4月中旬
~1968年9月上旬
宮崎県漁業連合会が科学技術庁の種子島ロケット発射場建設に対して反対運動を行い、この期間は内之浦でのロケット打上げも中止される。  
1970年2月11日 L-4S型5号機打上げ。日本初の人工衛星「おおすみ」の軌道投入成功。 人工衛星の軌道投入成功

ペンシルの初実験から5年後には、K-8型ロケットで宇宙空間との境界とされる高度100kmに到達しています。すげいなあ。

※1…カッパ8型(K-8)は2段式。

※2…K-9L型1号機は観測機器を積まない実験機だったせいか、資料が乏しい。高度310kmとするものもあり、詳しいところがわからない。350kmはSPACE INFORMATION CENTERより。

※3…K-8型3号機(1960年9月22日打上げ)が200kmを超えた(あるいは到達した)という記述が散見されたが、東大宇宙航空研究所の10周年誌によれば197.5km止まりである。(電離層F層到達の事実には変わりはないが)

※4…1962年5月24日(道川封鎖)~1963年12月9日(内之浦開所)に内之浦で打上げられたカッパロケットは全5機。

※5…ラムダ以降のロケットは一部例外を除いて、アルファベット直後の数字が段数を表す。「ラムダ2型」は2段式。また、この時の打上げでは2段目が不着火で、高度53kmに達したのみ。

ちなみに研究母体は右記のように変遷を遂げる。1964年までは東京大学生産技術研究所(東大生研)AVSA研究班として、1964年~1981年は東京大学宇宙航空研究所として、1981年~2003年までは宇宙科学研究所(ISAS)として、2003年からはNASDA、NALと3機関統合され宇宙航空研究開発機構(JAXA)として。

参考文献:
ISAS | 日本の宇宙開発の歴史 宇宙研物語
http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/index.shtml

SPACE INFORMATION CENTER : 宇宙開発の歴史
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/cosmic_history.html

CiNii - 東京大学宇宙航空研究所報告 観測ロケット特集号 - 目次
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00161914/ISS0000045905_jp.html

年表:1950年代 | 宇宙開発と明星電気の歴史 | 明星ミュージアム | 明星電気株式会社
http://www.meisei.co.jp/museum/space/timeline/1950s.html

Wikipediaのカッパロケット、ラムダロケットなどの項

その他Google先生に引っかかった色々

2010年12月15日水曜日

【レポート】12月14日(火)「世界一の星空を作る」@六本木ヒルズ森タワー by 大平貴之

12月14日(火)に六本木ヒルズ森タワーで行われた「アカデミーヒルズ」講演会、「世界一の星空を作る」に参加してきました。講演者は「メガスター」の大平貴之さん。

例によって会場でとったメモを手直しして貼っつけです。

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■そもそもプラネタリウム作りに興味を持ったわけ
・小学五年のころ
・理由は思い出せない

■最初に作ったプラネタリウム
夜行塗料で、紙にオリオン座を描いて、壁に貼った。
皆に驚かれたので、どんどん星座を増やしていった。
そして、人を呼んでは説明するように。

■忘れ物の多い子供だった
「忘れ物グラフ」でクラスダントツだった。
そんな自分が誉められた!
→プラネタリウム作りにハマっていく。
夜行塗料では満足できない。科学館にあるような本物を作りたい。

■雑誌の付録に、ボール紙の組み立て式ピンホールプラネタリウム投影機が
確かに映ったが、期待していた程綺麗ではなかった。
→しかし、原理を学ぶことができた

■ピンホール式では限界がある
科学館にあるような、レンズ式を作りたい。
当時は超高級品。国産化されていなかった。一つ買うお金で小学校が2つ3つ建つ。
小学校時代に、設計図までは書いたが、断念。

■高校時代のプラネタリウム
物理部で「Model-2 Project」
レンズ式はあきらめて、ピンホール式の限界に挑んだ。
穴を開けるのではなく、フィルムに星を焼き付けたものを使用。

■当時はものづくりそのものに夢中だった
・友達が、バイク通学していた
→うらやましい。でもお金も免許もない。
→ジェットエンジンを作った

何を考えたか
→自転車に付ける!安いし免許いらず。
→製作時の騒音や技術的問題から断念。

・ロケット制作
→固体燃料ロケット
→最大で全長1m。到達高度2000m。
→材質カーボンファイバー
友人はアルミ制のロケットを作っていた。レーダーに映り、戦闘機がスクランブルで飛んできた(実話)

これで色々なことを覚えた。
・プログラミング
・コンピューター
・化学反応
・物理法則
ゆくゆくは人工衛星を打ち上げたい、と思っていたが、あきらめて、再びプラネタリウムに目を向けた。

■大学時代
今度こそ、レンズ式プラネタリウムを作りたい

■その仕組み
サッカーボールと同じように、レンズを32面組み合わせて天球にする。

恒星原盤の作成が一番難しかった。
目標、星3万個。どうやって穴を正確に開けるか?
ここでロケット製作の時のプログラミングの知識が生きた。
→コンピュータに星をプロットさせる。名付けて「マイクロプロッター」

大成功!「アストロライナー」完成。
各地に上映しに行った。

■しかし栄光は続かなかった
簡易ドームか風に飛ばされ、投影機も巻き込んで壊れた。

「このままでは、駄目だ」

アストロライナーは「使いやすさ」は考えずに作った。
→重量100kg
→家の2階で作っていたが、運び出すときまでその使いにくさに気がつかなかった

■「アストロライナー2号構想」
・30kg以下。大人一人で持ち運べること(自分の体を鍛えることも考えたが、自分以外が運べないと意味がない)
・縦横46cm以下。乗用車(自宅の車)で運べること
→途中で父親が車を買い換えて計画が狂ったが、助手席に乗せることで解決
・スーパーマイクロプロッター開発。より精密な星空を。
当時社会人だったので、ボーナス2回分をはたいて、夜な夜な開発。そして完成。

名前を「メガスター」と改称。

■ハンドキャリーでイギリスへ
"How many stars?"
"One million."
"Pardon?"

重量27kg。手で持ってきた。でも世界一の数を映し出した。
当時、そんなに星を移しても意味がないと思われていた。目に見えないから。
でもオーストラリアで星空を見た経験から、目に見えない星まで再現することに意味があることに直感的に気が付いていた。判別が付かないような一個一個の星が天の川を作っている。

■国内初上映は美術館
・表参道「スパイラル」
乗り換えに使ったことぐらいしかなかった駅

ファンレターが届くようになった。
『素敵すぎて隣にいた彼氏と結婚したくなりました』
・「俺の汚い部屋から綺麗なものができた」
・「これは少子化対策だ」

■メガスターの課題
・直径12mまでのドームにしか移せない

■メガスター2
目標
・直径20mまで
・より高精細な星空
・通常の3倍(もちろん赤い)

完成品
・25mまで
・500万個の星

今まで全部で4機作った。全部に固有の名前を付けた。1号機は、プラネタリウム復活ののろし
「フェニックス」

■ホームスター
バリエーションたくさん
・ホームスターアクア
・ホームスタースパ
・ホームスターバースデイ
私だけでは思いつかなかった。おもちゃ屋とのコラボの結果。
技術は公に発表された時点で自分だけのものではないのだ。相乗効果で色々生み出される。

■本も書いた

■ネスカフェのCMにも出演
ダバダー ダーバ、ダバダー ダバダー

■当初の計画
1.メガスターシリーズ(メガスター→メガスターII→メガスターIII)
→大型プラネタリウム計画。超リアル、大型ドーム向け。
2.メガスターJr.シリーズ
→ホームスターとして実現

着々と実現中

■全天周CG映像も開発を始めた
JAXAや極地研とコラボも。
・ロケットからみた地球
・ゴンドワナ超大陸分裂の再現

■スカイプラネタリウム
コンセプトは「星空を歩けたらいいね」

星空の庭園構想
・ウォークスルー型プラネタリウム
・座席に座ってみるのではなく、美術館のように回覧するプラネタリウム
・森ビルの「都市模型」とコラボ
→自分の作った星空の下に都市が!

■質疑応答
Q.一番の挫折は?
A.よく聞かれるが、挫折の経験はあまりない。一番は、設計したデータを入れたハードディスクがクラッシュしたこと。あまり挫折がないのは、目標の設定を小刻みにして、手の届かない目標は設定しないできたから。一つ達成すると、できることが増え、手の届く範囲が増える。少しずつステップアップしていった。

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講演会の後、大平技研と森タワーのコラボで生まれた「スカイプラネタリウム」を観てきました。

4つのセクションに分かれていて、そこを「ウォークスルー」するのですが、一つ一つのセクションの「星空の中にドラマをみせる」演出が素晴らしかったです。「ドームじゃない」と侮っては損。新しいプラネタリウムの形だと思います。

2011年の2月13日まではやっているようなので、一度観に行ってみては。

更にその後、森タワー屋上のスカイデッキに上がってふたご座流星群観望、といきたかったのですが、僕が上がったときには曇っていて見られませんでした。上がる前に3つほど大きな火球が見えたと聞いていただけに、残念。

2010年12月14日火曜日

【レポート】12月10日 講演会「『はやぶさ』世界初のチャレンジ」

直前のエントリと日付が前後しますが、12月10日(金)に慶応大学日吉キャンパスで行われた、慶応科学講演会「『はやぶさ』世界初のチャレンジ ~NASAに先駆けて,なぜ日本がミッションを遂行できたのか~」に行ってきました。

例によって会場で取ったメモを手直しして貼りつけます。

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講演その1 JAXA・ISAS 久保田 孝さん(遅刻して行ったので、講演のタイトル分からず)

◇イトカワへの着陸
→はやぶさは太陽電池パドルを動かせないので、電池パドルを太陽方向へ固定した姿勢でないとタッチダウンとできない。

写真で見ると意外とイトカワの平らな部分が多いように感じられるかも知れないが、そういう理由で「はやぶさ」がタッチダウンできる範囲は非常に限定された。

◇「ミネルバ」に、「はやぶさ」から分離した瞬間に写真を撮る「隠しコマンド」を仕込んでおいた!(「はやぶさ」本体を撮影するため)

プロマネにも内緒の隠しコマンドだった。全て終わった後に「こんなの撮ってました」と見せたかった。「ミネルバ」が着陸に失敗したので、すぐ公開した。

◇ラストショット
→「撮るだろうと思っていた」

「はやぶさ」から送られてきた画像を処理するプログラムは私の研究室にあるPCに入っていたのだが、イトカワ離脱以来5年間動かしていなかった。パスワードを忘れていて焦ったが、5個目で通った。

◇カプセル回収
→回収班に「回収したら振ってみてください」と伝えておいた
→6kgもあるので重くて振れなかった

◇アメリカの反応
→「ナンバー1」はニアシューメーカーとスターダストとディープスペース1

アメリカという国は、国民に「自分の国がナンバー1である」という誇りを持たせる政策を徹底している

◇質疑応答
Q.「はやぶさ」後継機に積むミネルバの改善は?
A.「はやぶさ」では地球からのコマンドでミネルバを落とした。結果、コマンドが地球から「はやぶさ」に届いた15分後には、「はやぶさ」が障害物を検出し離脱噴射を開始していたため、投下に失敗した。2では、「はやぶさ」にタイミングを判断させ自律的に落とさせる。

Q.隠しコマンドで撮った写真の枚数は1枚?
A.たくさん撮った。「はやぶさ」は意味のある写真しか地球に送信しないようにプログラムされていたので、地球に送られてきたのは「はやぶさ」の太陽電池が写った1枚だけ。

Q.ラストショットを撮ったONC-W2の位置は?
A.探査機を正面から見て右横。あれは横を撮るカメラなので。

Q.ラストショット撮影後に、プロジェクトタイルが発射できるかどうか撃ってみるという話があったと聞いた。撃たなかったのか?
A.ラストショットがスムーズに撮れていたら、やっていたかもしれない。他にも試してみたいコマンドは色々あったが、ラストショット撮影に時間がかかったのでできなかった。プロジェクトタイル発射については、カプセル分離直後だと万が一カプセルにぶつかったらいけないので、分離後すぐ撃ってみる訳にはいかなかった。

講演その2 「MUSES-C『はやぶさ』カプセル回収作業」by カプセル回収班 杉浦枝里子さん

◇帰還当日のカプセル探査、3つの方法
・電波方向探査(”方探”と略す)
・光学観測
・航空機観測→NASAの航空機

光学観測担当1人、電波方角探査担当2人の3人で1チームとする。これが4チームあり、計12人。

◇電波方向探査の配置
・カプセル落下予想範囲の楕円を囲むように4カ所
・この楕円は東京湾以上の大きさ

この中のどっかに落ちるから探してね♪
→ほぼわかっていないに等しい

方向探査局各班からの情報を本部で集約し、「ここだ」

本部との連絡は衛星電話。結構途切れて大変。

◇当日の仕事
1.火球の目視確認、報告(光学観測)
2.ビーコンONの確認(電波方探)
→これは「パラシュートが開傘している」、「カプセル内部電池が生きている」の確認になる。
3.1分ごとにビーコンの一番強い方向にアンテナを向け(これを「ロックオン」と呼ぶ)、その方向を本部に報告する。

22時52分(日本時間) 火球確認
22時56分 ビーコン入感
22時57分00秒から1分ごと ビーコンをロックオン
23時09分 ビーコン消感
23時47分 ヘリコプターから目視にてカプセル発見
(回収は日が出てから)


火球が出現した瞬間、光学観測担当者以外も待機施設(キャンピングカー)の外に出てしまい、本部から「持ち場に戻ってください!」(12人中9人が外に出ていた)

みんな感無量で、本部に報告するのに無駄に叫んでいた。

消感後、一杯やりたかったが、ウーメラ立入制限区域内では飲酒禁止。曽根さん(「宇宙の電池屋」として有名)は最後まで電池の心配をしていた。
【参考】ISASメールマガジン「
宇宙の電池屋 ~方探班の一員として~」
http://www.isas.jaxa.jp/j/mailmaga/backnumber/2010/back302.shtml

本部では、1分ごとの各班からの報告の交点を結んでカプセルの現在位置をプロットする。その点が、ある時逆行し始めた。当日の風向きが再突入の方向とは逆だったので「ああ、パラシュートが開いたのだな」。「自分が初めに気付いたと自負している」(久保田)

着陸後も電波を出し続けていたので、ヘリで近づいていったらすぐにわかった。

◇帰還の前日まで
國中先生も含め現地メンバーはみんな不安だった。弱音をこぼすことも。
「見つけられなかったらどうすんの」
「それまで帰れないんだよ」
「見つけられずに帰ったら、空港で石ぶつけられるよ」
など。

ビデオ撮影担当の方は、大阪のプラネタリウムで練習してきた。
はやぶさの再突入の速度で、プラネタリウム職員の方にレーザーポインタを振ってもらう。

みんな順調に行くとは思っていなかった。あんなにきれいにビーコンが聞こえるとは。トラブルがある前提の心構えだった。

「電波さえ出ていれば絶対見つけられる」と思っていた。

◇珍事件
ビーコンについて、仕様書が曖昧で「1秒で『ピー』と『ポー』が変化する」ということしか分からなかった。0.5秒ごとの変化で1秒間の間に「ピーポー」と鳴るのか、1秒間「ピー」と鳴った後に1秒間「ポー」と鳴るのか?

分からないので、電波方探担当者は前者で練習していた。

実際は、1秒間「ピー」の後、1秒間「ポー」。当日ビーコンが受かったときは「なんだか妙に落ち着いたビーコンだね」と言っていた。

◇質疑応答
Q.帰還が昼間だったら?
A.かなり明るかったので、昼でも光学観測はできたはず

Q.電波が出なかったら
A.1日10kmずつ横一列に並んで行進してローラー作戦で探す。
最初は1日20kmだったのを、回収班が勘弁してくれと言って10kmに。まむしが出るので長靴必須。

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この他にも、この講演会のためだけに杉浦さんが撮ってきてくださった(!)、「はやぶさプロジェクトチーム」の國中さん、川口さん、吉川さんからのビデオメッセージの上映もありました

久保田さん、杉浦さん、貴重なお話をありがとうございました。