ペンシルロケットから始まる「東大ロケット(※)」が、日本初の人工衛星「おおすみ」を打上げるまでの年表。トピックは主観で選んでます。
※ここで便宜的にそう呼ぶだけで、東大だけのロケットというと語弊があります。
日付 | 事柄 | 備考 |
1955年3月11日 | ペンシルロケット初の水平発射実験@八王子 | |
1955年8月06日 | ペンシル300斜め発射実験@秋田道川海岸 | 道川海岸での初実験 |
1956年9月24日 | カッパロケット(K-1型)初打上げ@道川 | |
1958年9月12日 | K-6型3号機で高度50km到達。 高層大気の観測データを引っさげIGY(国際地球観測年)に参加。 | |
1960年7月11日 | K-8型(※1)初打上げ。高度180km | 100km突破 |
1960年10月24日 | 糸川英夫、内之浦を視察 | |
1961年4月01日 | K-9L型1号機で高度350km(※2) | 200km(※3)、300km突破 |
1962年2月02日 | 内之浦宇宙空間観測所、着工 | |
1962年5月24日 | 道川にてK-8型10号機が爆発。住民感情への配慮と安全規定の見直しから道川で実験は全面中止(※4) | |
1963年8月24日 | ラムダロケット初打上げ@内之浦(ラムダ2型1号機L-2-1)(※5) | |
1963年12月09日 | 内之浦宇宙空間観測所、開所式 | |
1963年12月11日 | L-2型2号機打上げ。高度402km | 400km突破 |
1964年7月11日 | L-3型1号機打上げ。高度857km | 500km突破 |
1965年1月31日 | L-3型2号機打上げ。高度1040km | 1000km突破 |
1966年9月26日 | 第4段を人工衛星とするL-4S型初打上げ(失敗) | |
1967年4月中旬 ~1968年9月上旬 | 宮崎県漁業連合会が科学技術庁の種子島ロケット発射場建設に対して反対運動を行い、この期間は内之浦でのロケット打上げも中止される。 | |
1970年2月11日 | L-4S型5号機打上げ。日本初の人工衛星「おおすみ」の軌道投入成功。 | 人工衛星の軌道投入成功 |
ペンシルの初実験から5年後には、K-8型ロケットで宇宙空間との境界とされる高度100kmに到達しています。すげいなあ。
※1…カッパ8型(K-8)は2段式。
※2…K-9L型1号機は観測機器を積まない実験機だったせいか、資料が乏しい。高度310kmとするものもあり、詳しいところがわからない。350kmはSPACE INFORMATION CENTERより。
※3…K-8型3号機(1960年9月22日打上げ)が200kmを超えた(あるいは到達した)という記述が散見されたが、東大宇宙航空研究所の10周年誌によれば197.5km止まりである。(電離層F層到達の事実には変わりはないが)
※4…1962年5月24日(道川封鎖)~1963年12月9日(内之浦開所)に内之浦で打上げられたカッパロケットは全5機。
※5…ラムダ以降のロケットは一部例外を除いて、アルファベット直後の数字が段数を表す。「ラムダ2型」は2段式。また、この時の打上げでは2段目が不着火で、高度53kmに達したのみ。
ちなみに研究母体は右記のように変遷を遂げる。1964年までは東京大学生産技術研究所(東大生研)AVSA研究班として、1964年~1981年は東京大学宇宙航空研究所として、1981年~2003年までは宇宙科学研究所(ISAS)として、2003年からはNASDA、NALと3機関統合され宇宙航空研究開発機構(JAXA)として。
参考文献:
ISAS | 日本の宇宙開発の歴史 宇宙研物語
http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/index.shtml
SPACE INFORMATION CENTER : 宇宙開発の歴史
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/cosmic_history.html
CiNii - 東京大学宇宙航空研究所報告 観測ロケット特集号 - 目次
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00161914/ISS0000045905_jp.html
年表:1950年代 | 宇宙開発と明星電気の歴史 | 明星ミュージアム | 明星電気株式会社
http://www.meisei.co.jp/museum/space/timeline/1950s.html
Wikipediaのカッパロケット、ラムダロケットなどの項
その他Google先生に引っかかった色々